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夕食前

昨年3月6日

 

夕食まで時間があります。

 

 

TVを見て連絡があるまで待ちましょう。

 

 

浴衣では寒いようです。

 

 

TVでは宮川大助・花子が漫才をやっていました。

 

 

宮川 大助・花子(みやがわ だいすけ・はなこ)は、日本の漫才コンビ。
所属事務所はよしもとクリエイティブ・エージェンシー。

実際の夫婦でしゃべくり漫才を演ずる夫婦漫才の第一人者で、「いつまでもあると思うな愛と金」などのフレーズで知られる。
なんばグランド花月(NGK)など、吉本興業所有の劇場に出演しているほか、個人でのテレビ出演なども多い。
ともに奈良県生駒市在住。


コンビ略歴・芸風

花子から大助を誘い、1976年初頭ごろにコンビを結成(吉本専属となった1979年11月を公式の結成年月としている)。
双方の師匠の了解を取り付け、「宮川」を屋号とすることが決まり、花子の芸名はチャンバラトリオから取って「トリ子」とすることが決まりかけたが、花子は鶏肉が皮の毛穴に恐怖を感じるほど大の苦手であり、「そんな名を付けないとアカンのなら、漫才やめます」と猛抗議して変更された経緯がある。

結成当初は大助がよく喋り、花子がそれに相槌を打つスタイルであった。
また、大助が花子を投げるなどする「どつき漫才」も演じていたが、生傷が絶えなかったので、周囲の勧めで花子がよく喋り、それに対して大助が鈍重に振る舞い、押されていくというスタイルに変更して評判を取った。
演芸作家の竹本浩三は花子の饒舌を「初代ミス・ワカナの再来」と評した。
その後、上方漫才の賞をいくつも獲得し、地位を確立した。

漫才では花子がかかあ天下的にしゃべくりの主導権を握っているが、実際は大助がネタや演出を全て考えている。
実生活では封建的なまでの亭主関白という訳ではなく、夫婦仲は良い。

1988年に花子が胃癌(大助は花子自身にはポリープと伝え、長らく伏せていた)のため体調を崩し、コンビ活動を一時休止した。
花子は5年間入退院を繰り返し、絶望して荒れるなどして、夫婦としての実生活の危機におちいったが、病気の克服とともに関係を修復。
のちにこれらの体験をつづった著書『愛をみつけた 大助・花子のおやオヤ日記』を出版。
同書はNHK総合テレビ『ドラマ新銀河』枠内にて『愛をみつけた』の題でドラマ化された。

花子復帰以降は花子が大助を一方的になじるような漫才のスタイルから変化し、花子が大助の人柄を観客に自慢するようなオノロケを見せるようになった。

2007年2月5日には、大助が軽度の脳出血により入院し、同年5月24日まで加療のため休業した。
大助の療養中は、花子が一人で舞台に立った。
大助が倒れた当初、花子は心中を覚悟し、長女に「棺おけを二つ用意してほしい」と頼んだ、とのちに告白している。
以降は大助の体調を考慮し、以前よりも舞台の回数を減らしているほか、花子が一人で舞台に立つこともある。

                    (Wikipediaより)

 

at 05:35, blogokmy, 熱海旅行

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